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2020
Mar
TUE
24
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シアワセの賞味期限

少し前になりますが、高校時代の友人が集まって私の誕生日を祝ってくれたときのことです。友人のひとりから、40代に突入する心境について尋ねられました(グループのなかで私が40歳一番乗りだったのです)。「これといった変化は感じられないかな。でもなんだかんだ言ってハッピーだよ」。するとAさんが「いつと比べてハッピーなの?」と。「そうね。過去のどの時期よりも今がハッピーかな。歳を重ねるごとに幸せになっている実感があるから」。

今度はBさんが「それは赤ちゃんを産んだから幸せってこと?」と興味津々の様子です。「赤ちゃんがいるからってわけではないよ。しいて言えばヨガとマインドフルネスのお陰かな」と、少し間を置いてから答えました。するとAさんが「ふーん、そうなんだ」と半信半疑の様子です。「だって、一般的には歳を取ると幸せから遠ざかっていくでしょう? 実際問題、心配事だって増えるし、責任が重くなって自由が効かなくなるから。でもジャネットが“自然の法則”に逆行しているのならすごいと思うわ」と。

帰宅するまでの道中、頭のなかでこの会話がぐるぐる回り続けていました。歳を重ねるごとに幸福度が目減りしていくなんて考えたことがなかったからです。仕事上、また経歴上、私の周りはスピリチャルな人や仏の道を目指す人が多くいます。幸福かどうかを決めるのは自分自身だと信じて疑わない人たちです。でも世の中には、スピリチャルプラクティスに縁がない人も大勢いるのです。だとすれば、幸せは賞味期限付きだと考えるのが一般的なのでしょうか。

スピリチャルプラクティスに出会っていなければ、私の幸福度も健康や財力、対人関係の質、物質的な豊かさ、社会的地位、キャリアなどに左右されていたはずです。幸福度はそれらと比例すると教わってきたのですから。でも、所有欲が満たされても幸福度は高まらないことも、社会的地位が高く物質的に恵まれた人の多くが孤独や不安に苛まれ苦しんでいることも知っています。

人生の折り返し地点という意味においても、40歳を迎えることは(少なくとも一般的には)象徴的なイベントです。私自身、ケアを怠らずにいるつもりでも、体力の衰えを感じずにはいられません。肌のハリも失われてきたように感じます。現実を突きつけられてがっかりすることもしばしばです。若さをよりどころにしていたとしたら、歳を取ることは恐ろしいことで人生は失望の連続だったでしょう。

じゃあ、と自問してみます。「ハッピーなのは、やりたいことが上手くいっていて、いろんな意味で満たされているから?」確かにそうかもしれません。でももう少し掘り下げてみると、「自分史上、今の自分がいちばん好きだから」だと気づいたのです。人生の浮き沈みにいちいち振り回されなくなりましたし、承認欲求を満たそうと躍起になる必要がないことも知っています。思い通りにならないことがあっても自分を責めることがなくなりました。また、「強さ」と同じように「弱さ」も受容できるようになりました。自分自身を受け入れるのがうまくなった結果、幸せを実感できるようになったのです。

次の瞬間に消えてなくなってしまうとしても執着することなく、“いまここ”にある豊かさを享受できますように。生命の無常について教えてくれた、マインドフルネスのプラクティスに感謝します。全ては見えないところで繋がっていて、私の努力は大海の一滴のしずくでしかないと気づかせてくれた、ブッダの教えに感謝します。努力が実った時には、成功は全ての条件が揃った時にもたらされると謙虚に受け止め、私の努力の賜物だと天狗になることがありませんように。努力が実らなかった時には、私の努力は大海の一滴のしずくであることを思い出し、自責の念にかられることなく内省し、改善のための努力を怠ることがありませんように。また、私のいるべき場所を理解しそこでベストを尽くすことができますように。願いとは、全ての条件が揃った時にだけ成就するものなのですから。

人生の荒波さえもオープンな態度で受け入れることを教えてくれた、マインドフルネスのプラクティスに感謝します。

幸せの鍵を握るのは、あなた自身です。幾つになっても幸せを実感できるように、豊かな心を育んでいきましょう。



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